姿見の池・武蔵国分寺公園 │国分寺
姿見の池
お鷹の道・武蔵国分寺から少し離れた場所にある姿見の池は、かつて付近の湧水や恋ヶ窪用水の流れ込み、清水を湛えていました。その名の由来は、鎌倉時代、恋ヶ窪が鎌倉街道の宿場町であった頃、遊女達が朝な夕なに自らの姿を映していたという言い伝えによります。また、この池は「一葉松」(ひとはまつ)の伝承の中にも登場します。源平争乱の頃、遊女の夙妻太夫(あさづまたゆう)と坂東武者(ばんどうむしゃ)で名将といわれた畠山重忠(はたけやましげただ)とが恋におちました。ところが太夫に熱をあげるもう一人の男がいて、その男は重忠が平家との西国の戦で討ち死にした嘘をつき、あきらめさせようとしましたが、深く悲しんだ太夫は姿見の池に身を投げてしまったと言い伝えられています。
更に時代が下って、江戸時代に描かれた「江戸名所図会」(えどめいしょずえ)に、このあたりの風景が道興准后(みちおきじゅごう)の歌を添えて登場しますが、その中に姿見の池らしきものが描かれています。
このように伝承に彩られた姿見の池は、昭和四十年代に埋め立てられましたが、平成十年度、環境庁及び東京都の井戸・湧水復活再生事業費補助を受け、昔の池をイメージして整備しました。また、ほかに湿地、用水路、水辺林等を、周辺の東京都指定「国分寺姿見の池緑地保全地域」の雑木林等と一体になるよう整備し、かつての武蔵野の里山を回復し保全してゆくものです。
案内板より
夙妻太夫の切ない恋の物語の舞台となった姿見の池は、
恋ヶ窪という地名の由来と言われております。
一度は都市化の影響で雨水が浸透しにくくなったせいもあり、その姿を失ったが、
国分寺市では湧水の源である地下水を保全するために、宅地に雨水浸透ますの
設置を促進して、水循環の保護した成果の一つとして、埋め立てられてしまった湧水地を自然と共存する場として再生しました。
遊女達が自らの姿を映していたという池、名の通り綺麗に景色が水面に写っていた
池には鴨や亀が暮らしている
池の脇の木製の歩道
野川へと続く恋ヶ窪用水
武蔵国分寺公園
公園内、泉地区は円形の芝広場で、
芝と木々に囲まれながら寝転んで青空を見上げると思わず時間を忘れリフレッシュ出来る。
また。周りは一周500mの歩道で舗装され辺りには、
滝、池、噴水、延長33m・幅3mの藤棚、立派なノウゼンカズラの棚が配置され景観も美しく、
ウォーキングやランニングを楽しむのに最適な場所になっている。
芝広場の様子
歩道に設置されているベンチの数も多く、滝が見える景色も心が落ち着く
ランニングやウォーキングに最適の一周500mの歩道
夏には立派なノウゼンカズラの棚が見れる
ふれあいの橋へ続く広い階段
西元地区も緑が豊かで綺麗な芝生が広がっている
井戸
お鷹の道へと続く、野鳥の森の道
史跡武蔵国分寺跡 北辺区画溝
鉄道学園記念碑
泉地区にある橋
野鳥の森の道にて撮影した紅葉、他にも様々な植物が生息している
泉地区には沢山の花が咲いている
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