航空機の博物館 │ 所沢航空発祥記念館
埼玉県所沢市、日本の航空発祥の地、航空公園(所沢航空記念公園)内にある
飛行機の博物館、所沢航空発祥記念館へ行ってきました。
館内には大型輸送ヘリコプターで迫力があるバートルV-44や
黄色いプロペラ機のノースアメリカンT6Gがあり、
他にも様々な航空機が展示されていました、
機体は博物館内で展示している為、保存状態が良い所も
所沢航空発祥記念館の魅力だと思います。
尚、2013年8月31日まで、世界で唯一現存する飛行することが可能な
ゼロ戦(零式艦上戦闘機)の展示を行っている。
詳しい内容は、ゼロ戦(零式艦上戦闘機) │ 所沢航空発祥記念館 特別展
の記事で紹介してます。
1934(昭和9)年にアメリカのノースアメリカン社によって設計され、
世界33ヶ国で15,117機も使用された中間練習機のベストセラーである。
日本では過去に自衛隊で10年間にわたってパイロット養成に使用されていた機体です。
1940年代にアメリカ合衆国のパイアセッキ・ヘリコプター社(後のボーイング・バートル社)で
開発された日本で最初に活躍した大型ヘリコプターです。
展示機は、おもに航空救難活動に使用されたV-44の1機で、
航空自衛隊にも10機のH-21B(V-44の軍用型)が導入され、航空救難用として使用された。
外観はバナナのような形をしていて、
ガラス張りの操縦席がとても格好良い、搭乗し中から操縦席の計器や操縦桿を見ると
飛行機のパイロットに憧れていた子供の頃の記憶が蘇りました。
バートル H-21B V-44型に装備されていた、アメリカのカーチスライト社製のレシプロ・エンジン、
1930年代に開発され通称は「ライト・サイクロン9」という。
航空自衛隊のジェット機パイロット養成の中等練習機で愛称は「はつたか」である。
2006年に全機体が退役し、所沢航空発祥記念館(埼玉県)、芦屋基地(福岡県)、
富士重工業太田矢島工場(群馬県)、航空宇宙科学博物館(岐阜県)に展示されている。
外観のカラーリングが白のベースに赤のラインが入った日本国旗のような配色で
親しみやすく格好良い機体でした。
アメリカ、ヒューズ・ヘリコプターズ社が開発した小型タービンヘリコプターの「ヒューズ OH-6」を
日本の川崎重工業がライセンス生産し、小型・軽量・高い強度・卓越した飛行性能・大きな搭載量
と様々な課題をクリアした傑作機である。
外観は卵型で他の機体と比べると小さくて可愛らしい。
アメリカのベル・ヘリコプター社によって開発された中型ヘリコプター、
戦場での軽武装攻撃・輸送・護送・遭難者の探索・救助と凡用性に優れた機体で
世界中で活躍している。
UH-1BはHU-1Aのローターなどの改良型で1962年にUH-1Bに名称変更されている、
所沢航空発祥記念館のHPではHU-1Bで紹介されています。
川崎航空機(現在の川崎重工業)が製作したレシプロエンジンの国産の連絡機。
実用には至らず、二台の生産のうち一台は解体された為、現存する唯一の機体です。
アメリカのパイパー航空機会社のタンデム式二人乗りの練習機、
アメリカから62機供与され、主にパイロット養成の練習機として使用された他に
連絡機や日本赤十字社で血液の緊急輸送機として活躍した。
第2次世界大戦中、一人乗りの軽量機体だったのを活かし、
アメリカ陸軍の連絡・観測機として第一線部隊で使用された。
日本では1953年(昭和28年)にアメリカから35機供与され、
パイロットの養成機として活躍したが老朽化のため
1956年(昭和31年)に使用が打ち切られた。
真っ黒な機体は少し威圧感があり、カラスのような印象を受けた。
エントランス・ロビーに吊り下げられている、所沢飛行場で飛んだ日本初の国産軍用機、
現存する機体がない為、展示されているのは原寸大のレプリカ。
正式名称は「臨時軍用気球研究会式一号機」で、1910年(明治43年)に日本で製作された。
アメリカのカーチス・ライト社が製造した輸送機である
太平洋戦争後の1954年に日本の航空自衛隊にも供与されて
「空のデゴイチ(蒸気機関車の愛称)」と呼ばれ活躍した。
航空公園に野外展示されています。
特別展、ゼロ戦の記事
飛行機の博物館、所沢航空発祥記念館へ行ってきました。
館内には大型輸送ヘリコプターで迫力があるバートルV-44や
黄色いプロペラ機のノースアメリカンT6Gがあり、
他にも様々な航空機が展示されていました、
機体は博物館内で展示している為、保存状態が良い所も
所沢航空発祥記念館の魅力だと思います。
尚、2013年8月31日まで、世界で唯一現存する飛行することが可能な
ゼロ戦(零式艦上戦闘機)の展示を行っている。
詳しい内容は、ゼロ戦(零式艦上戦闘機) │ 所沢航空発祥記念館 特別展
の記事で紹介してます。
ノースアメリカン T6G
1934(昭和9)年にアメリカのノースアメリカン社によって設計され、
世界33ヶ国で15,117機も使用された中間練習機のベストセラーである。
日本では過去に自衛隊で10年間にわたってパイロット養成に使用されていた機体です。
シコルスキー H-19
シコルスキー・エアクラフト社が制作した
ベストセラーの実用貨物ヘリコプターで全世界で1,828機生産された。
日本では三菱重工業によりライセンス生産され、
航空自衛隊で、S-55(H-19)を救難機・多用途機として活躍する、
愛称は「はつかり」と呼ばれ、
展示されている機体は陸上自衛隊のH-19と説明されていることから
日本で生産されたものだと思われる。
展示されている機体は、エンジンの格納部分が開いていてエンジンをしっかりと観察出来た。
バートル H-21B V-44型
1940年代にアメリカ合衆国のパイアセッキ・ヘリコプター社(後のボーイング・バートル社)で
開発された日本で最初に活躍した大型ヘリコプターです。
展示機は、おもに航空救難活動に使用されたV-44の1機で、
航空自衛隊にも10機のH-21B(V-44の軍用型)が導入され、航空救難用として使用された。
外観はバナナのような形をしていて、
ガラス張りの操縦席がとても格好良い、搭乗し中から操縦席の計器や操縦桿を見ると
飛行機のパイロットに憧れていた子供の頃の記憶が蘇りました。
バートル H-21B V-44型の操縦席と内部
ライトR-1820-103
バートル H-21B V-44型に装備されていた、アメリカのカーチスライト社製のレシプロ・エンジン、
1930年代に開発され通称は「ライト・サイクロン9」という。
富士 T-1B
航空自衛隊のジェット機パイロット養成の中等練習機で愛称は「はつたか」である。
2006年に全機体が退役し、所沢航空発祥記念館(埼玉県)、芦屋基地(福岡県)、
富士重工業太田矢島工場(群馬県)、航空宇宙科学博物館(岐阜県)に展示されている。
外観のカラーリングが白のベースに赤のラインが入った日本国旗のような配色で
親しみやすく格好良い機体でした。
ヒューズ OH-6J
アメリカ、ヒューズ・ヘリコプターズ社が開発した小型タービンヘリコプターの「ヒューズ OH-6」を
日本の川崎重工業がライセンス生産し、小型・軽量・高い強度・卓越した飛行性能・大きな搭載量
と様々な課題をクリアした傑作機である。
外観は卵型で他の機体と比べると小さくて可愛らしい。
ベル 204B UH-1B(HU-1B)
アメリカのベル・ヘリコプター社によって開発された中型ヘリコプター、
戦場での軽武装攻撃・輸送・護送・遭難者の探索・救助と凡用性に優れた機体で
世界中で活躍している。
UH-1BはHU-1Aのローターなどの改良型で1962年にUH-1Bに名称変更されている、
所沢航空発祥記念館のHPではHU-1Bで紹介されています。
川崎 KAL-2
川崎航空機(現在の川崎重工業)が製作したレシプロエンジンの国産の連絡機。
実用には至らず、二台の生産のうち一台は解体された為、現存する唯一の機体です。
パイパー L-21B スーパーカブ
アメリカのパイパー航空機会社のタンデム式二人乗りの練習機、
アメリカから62機供与され、主にパイロット養成の練習機として使用された他に
連絡機や日本赤十字社で血液の緊急輸送機として活躍した。
スチンソン L-5E
第2次世界大戦中、一人乗りの軽量機体だったのを活かし、
アメリカ陸軍の連絡・観測機として第一線部隊で使用された。
日本では1953年(昭和28年)にアメリカから35機供与され、
パイロットの養成機として活躍したが老朽化のため
1956年(昭和31年)に使用が打ち切られた。
真っ黒な機体は少し威圧感があり、カラスのような印象を受けた。
会式一号飛行機
エントランス・ロビーに吊り下げられている、所沢飛行場で飛んだ日本初の国産軍用機、
現存する機体がない為、展示されているのは原寸大のレプリカ。
正式名称は「臨時軍用気球研究会式一号機」で、1910年(明治43年)に日本で製作された。
ハンググライダー
C-46A
アメリカのカーチス・ライト社が製造した輸送機である
太平洋戦争後の1954年に日本の航空自衛隊にも供与されて
「空のデゴイチ(蒸気機関車の愛称)」と呼ばれ活躍した。
航空公園に野外展示されています。
特別展、ゼロ戦の記事
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