正福寺地蔵堂 │ 東村山
東京都東村山市にある都内で2つしかない国宝のうちの1つ、
室町時代の応年14年(1407年)に建立された正福寺地蔵堂へ行ってまいりました。
(尚、もう1つの国宝は東京都港区にある旧東宮御所「迎賓館赤坂離宮」)
正福寺地蔵堂は地元で正福寺千体地蔵堂と呼ばれており、
駐車場もある為、気軽に参観することが出来る国宝です、
正福寺地蔵堂内は、8月8日、9月24日の午前11時から午後3時と、
11月3日の午前10時から午後4時に公開されるそうです。
(2013年、現在は二つ)地蔵堂本尊及び小地蔵尊像は、市指定文化財となっています。
千体地蔵堂は、鎌倉円覚寺舎利殿とともに唐様建築を代表する建物です。
波型欄間(なみがたらんま)、花頭窓(かとうまど)、屋根の反りなどに特徴があります。
昭和8年~9年に屋根の芽葺きをこけら葺きに改修した際に発見された墨書銘により、
室町時代の応年14年(1407年)の建立とわかりました。
寺の縁起では鎌倉幕府の執権北条時宗が鷹狩りの際病気になり、
夢の中で地蔵菩薩からもらった丸薬で病が治ったことから地蔵堂を建立したといわれています。
地蔵堂本尊は、昭和48年の修理のとき文化8年(1811年)、
江戸神田須田町万屋市兵衛弟子善兵衛と書かれた墨書銘が発見されました。
また地蔵尊像については、江戸時代の地蔵信仰が盛んなとき、
多くの小さな地蔵尊の木造が奉納され、堂内の天井に近い長押(なげし)に置かれ、
千体地蔵堂の名もここに由来します。祈願する人は、小地蔵尊像を一体借りて、
家に持ち帰り、願いが成就すれば別に一体添えて奉納するというもので、
像は裏側には祈願者の名前や年号が入っており、大きさは10cmから30cmほどのもで
正徳4年(1714年)から享保14年(1729年)のものが多く、
奉納者は、地元は勿論、所沢・国分寺・小金井などに及んでいます。
地蔵堂の本尊は、木造の地蔵菩薩立像で堂内内陣の須弥壇に安置されています。
右手に錫杖、左手に宝珠をもつ延命地蔵菩薩で、像の高さは127cm、台座部分の高さ88cm、
光背の高さ 175cm、錫杖の長さ137cm。
寺に伝わる縁起には古代のものと伝えられ、また一説には、
中世のものとも伝えられていますが、昭和48年の修理の際に発見された墨書銘によって、
文化8年(1811年)に江戸神田須田町屋市兵衛の弟子禅兵衛の作であることがわかりました。
案内板より
地蔵堂前の石灯篭
禅宗様(唐様)建築で屋根の端が綺麗に反り返っている
斜めしたから見上げた姿も迫力がある
屋根の先は尖っているようだ
正福寺、地蔵堂の波型欄間
小地蔵
小福寺地蔵堂の近くに納められている小地蔵達は文化の日に行われる「地蔵まつり」で
有料頒布されたもので、地蔵堂におきまして住職が開眼法要された地蔵様です。
購入された方の病気平癒、子養育、家内安全、厄除けなどの願いが込められています
市内のハンディキャップを持つ方々が精魂込めて作り上げた手作りの木彫り地蔵
金剛山正福寺は臨済宗の寺院で、鎌倉の建長寺の末寺です。
その仏殿である地蔵堂は、応永14年(1407)建立の典型的な禅宗様建築であり、
東京都唯一の国宝建造物です(昭和3年・1928年指定)。
鎌倉幕府執権であった北条時宗か、またはその父である時頼によって開基され、
勧請開山は中国南宋の石渓心月仏海(しゃけいしんげつぶっかい)であると
言い伝えられていますが、確たる史料は現存していません。
正福寺山門は、昭和48年(1973)に行われた解体修理の際発見された、
親柱枘の墨書銘 「元禄十四辛巳年無神月吉祥日建□(者)也、此時住寺□月山(以下略)」 から、
元禄14年(1701年)、月山の代の建立であることが判明しました。
山門の建築様式は、四脚門・切妻(きりづま)屋根で、
昭和48年の修理の際に茅葺きから茅葺形銅板葺きに改修されました。
建築様式は禅宗様で、その規模は、桁行十尺(3.03m)、梁行十尺で、
高さも柱底部から桁下端までで十尺となっています。
屋根は、かつては化粧裏板の上に登り、梁を架けて茅葺としていたものと考えられます。
また、彩色は柱、桁、冠木、束等に朱の痕跡が見られ、
もともとは全体が朱で塗装されていたものとみられます。
江戸時代の伽藍(がらん)の遺構を示す、貴重な禅宗様建築物です。
案内板より
この板碑は都内最大の板碑といわれ、
高さ285cm(地上部分247cm)、幅は中央部分で55cmもあります。
碑面は釈迦種子に月輪、蓮座を配し、光明真言を刻し、銘は「貞和5年丑己”己丑(つちのとうし、きちゅう)”卯月8日、帰源逆修」とあり西暦1349年のものです。
この板碑はかつては前川の橋として使われ、経文橋または念仏橋ともよばれていました。江戸時代からこの橋を動かすと疫病が起きると伝えられ、昭和2年5月に改修のため板碑を撤去したところ付近に赤痢が発生したのでこれを板碑のたたりとし、同年8月に橋畔で法要を営み、板碑をここ正福寺境内に移建したものです。
案内板より
正福寺、鐘楼
正福寺、境内の様子
山門にある石碑
地蔵堂へ続く参道の途中にある石碑
本堂へ向かう参道に並ぶ明王像
狛犬と八坂神社
八坂神社
八坂神社の本坪鈴
手水舎
室町時代の応年14年(1407年)に建立された正福寺地蔵堂へ行ってまいりました。
(尚、もう1つの国宝は東京都港区にある旧東宮御所「迎賓館赤坂離宮」)
正福寺地蔵堂は地元で正福寺千体地蔵堂と呼ばれており、
駐車場もある為、気軽に参観することが出来る国宝です、
正福寺地蔵堂内は、8月8日、9月24日の午前11時から午後3時と、
11月3日の午前10時から午後4時に公開されるそうです。
正福寺千体地蔵堂と堂内
この正福寺千体地蔵堂は、都内唯一の国宝建造物です。(2013年、現在は二つ)地蔵堂本尊及び小地蔵尊像は、市指定文化財となっています。
千体地蔵堂は、鎌倉円覚寺舎利殿とともに唐様建築を代表する建物です。
波型欄間(なみがたらんま)、花頭窓(かとうまど)、屋根の反りなどに特徴があります。
昭和8年~9年に屋根の芽葺きをこけら葺きに改修した際に発見された墨書銘により、
室町時代の応年14年(1407年)の建立とわかりました。
寺の縁起では鎌倉幕府の執権北条時宗が鷹狩りの際病気になり、
夢の中で地蔵菩薩からもらった丸薬で病が治ったことから地蔵堂を建立したといわれています。
地蔵堂本尊は、昭和48年の修理のとき文化8年(1811年)、
江戸神田須田町万屋市兵衛弟子善兵衛と書かれた墨書銘が発見されました。
また地蔵尊像については、江戸時代の地蔵信仰が盛んなとき、
多くの小さな地蔵尊の木造が奉納され、堂内の天井に近い長押(なげし)に置かれ、
千体地蔵堂の名もここに由来します。祈願する人は、小地蔵尊像を一体借りて、
家に持ち帰り、願いが成就すれば別に一体添えて奉納するというもので、
像は裏側には祈願者の名前や年号が入っており、大きさは10cmから30cmほどのもで
正徳4年(1714年)から享保14年(1729年)のものが多く、
奉納者は、地元は勿論、所沢・国分寺・小金井などに及んでいます。
正福寺千体地蔵堂本尊
東村山市指定有形文化財 昭和48年3月31日 指定地蔵堂の本尊は、木造の地蔵菩薩立像で堂内内陣の須弥壇に安置されています。
右手に錫杖、左手に宝珠をもつ延命地蔵菩薩で、像の高さは127cm、台座部分の高さ88cm、
光背の高さ 175cm、錫杖の長さ137cm。
寺に伝わる縁起には古代のものと伝えられ、また一説には、
中世のものとも伝えられていますが、昭和48年の修理の際に発見された墨書銘によって、
文化8年(1811年)に江戸神田須田町屋市兵衛の弟子禅兵衛の作であることがわかりました。
案内板より
国宝、正福寺千体地蔵堂の写真
地蔵堂は山門を抜け石灯篭が3列並んだ参道の先にありました地蔵堂前の石灯篭
禅宗様(唐様)建築で屋根の端が綺麗に反り返っている
斜めしたから見上げた姿も迫力がある
屋根の先は尖っているようだ
正福寺、地蔵堂の波型欄間
小地蔵
小福寺地蔵堂の近くに納められている小地蔵達は文化の日に行われる「地蔵まつり」で
有料頒布されたもので、地蔵堂におきまして住職が開眼法要された地蔵様です。
購入された方の病気平癒、子養育、家内安全、厄除けなどの願いが込められています
市内のハンディキャップを持つ方々が精魂込めて作り上げた手作りの木彫り地蔵
正福寺、山門
東村山市指定文化財 平成17年4月20日 指定金剛山正福寺は臨済宗の寺院で、鎌倉の建長寺の末寺です。
その仏殿である地蔵堂は、応永14年(1407)建立の典型的な禅宗様建築であり、
東京都唯一の国宝建造物です(昭和3年・1928年指定)。
鎌倉幕府執権であった北条時宗か、またはその父である時頼によって開基され、
勧請開山は中国南宋の石渓心月仏海(しゃけいしんげつぶっかい)であると
言い伝えられていますが、確たる史料は現存していません。
正福寺山門は、昭和48年(1973)に行われた解体修理の際発見された、
親柱枘の墨書銘 「元禄十四辛巳年無神月吉祥日建□(者)也、此時住寺□月山(以下略)」 から、
元禄14年(1701年)、月山の代の建立であることが判明しました。
山門の建築様式は、四脚門・切妻(きりづま)屋根で、
昭和48年の修理の際に茅葺きから茅葺形銅板葺きに改修されました。
建築様式は禅宗様で、その規模は、桁行十尺(3.03m)、梁行十尺で、
高さも柱底部から桁下端までで十尺となっています。
屋根は、かつては化粧裏板の上に登り、梁を架けて茅葺としていたものと考えられます。
また、彩色は柱、桁、冠木、束等に朱の痕跡が見られ、
もともとは全体が朱で塗装されていたものとみられます。
江戸時代の伽藍(がらん)の遺構を示す、貴重な禅宗様建築物です。
案内板より
貞和の板碑
東村山市指定有形民俗文化財 昭和44年3月1日 指定この板碑は都内最大の板碑といわれ、
高さ285cm(地上部分247cm)、幅は中央部分で55cmもあります。
碑面は釈迦種子に月輪、蓮座を配し、光明真言を刻し、銘は「貞和5年丑己”己丑(つちのとうし、きちゅう)”卯月8日、帰源逆修」とあり西暦1349年のものです。
この板碑はかつては前川の橋として使われ、経文橋または念仏橋ともよばれていました。江戸時代からこの橋を動かすと疫病が起きると伝えられ、昭和2年5月に改修のため板碑を撤去したところ付近に赤痢が発生したのでこれを板碑のたたりとし、同年8月に橋畔で法要を営み、板碑をここ正福寺境内に移建したものです。
案内板より
正福寺本堂
正福寺、鐘楼
正福寺、境内の様子
山門にある石碑
地蔵堂へ続く参道の途中にある石碑
本堂へ向かう参道に並ぶ明王像
正福寺境内にある八坂神社の写真
鳥居狛犬と八坂神社
八坂神社
八坂神社の本坪鈴
手水舎
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